|
ま最初の30分だけ…と映画好きの人が聞けば怒りだすような心づもりで見始めたのだが、ちょうど30分頃から物語がおもしろくなり始め、ついつい、観つづけていた。主演の永瀬正敏が「なんで、なんにも言ってくれないんだ」と、和久井映美にラブレターを渡して詰め寄っているシーンにさしかかった、その時、地震が起きたのだ。 最初、カタカタカタカタと揺れ始め「あ、地震だ」と言い終わらないウチに床が大きく波打って、部屋中のものが飛び跳ねた。「ひえー」としか声が出ないまま、すぐに停電。真っ暗ななか、大きな音と、部屋ごとシェイクされているような揺れに、立つことも、じっと座っていることもできなかった。 しかも、その鉄骨はぎっしりと重い雑誌が詰まったサイドボードを持ち上げ、片方だけ持ち上げられて横滑りしたサイドボードは隣室とのふすまを突き破って重い重い着物タンスを直撃し、着物タンスは、普段私たちが寝ている枕元に倒れ込んでいた。まさに、家じゅうドミノ倒しの終点に、私たちの寝室の枕があった。おそらく、このドミノ倒しは最初の一撃で、起きたものだろう。 あの日に『男はつらいよ』を観ていなかったら、そして観ていた『息子』がつまんなかったら、私たちは地震の時に眠っていた。だから、山田監督、あなたは私たちの命の恩人、というわけなのです。 『男はつらいよ』の撮影・上映が1年ほど休んでいた頃、渥美さんがデパートへ行って目的の売場の場所を聞いたら、親切に教えてくれたデパートガールが「渥美さんですね。最近、寅さんの映画をやってないみたいですけど、どうしたんですか」と聞いてきたそうだ。それで「休憩中なんです」と答えて、ふとそのデパートガールの胸元を見ると、“休憩中”のバッジをつけている。今度は渥美さんが「これ、なんですか?」と聞いたら「これは私たちが、休憩時間中に店内を歩くときにつけるものなんです」と言うので「へー、いいなあ。同じですね、休憩中」と渥美さんが言うと、「よかったら差し上げましょう」ということになったそうだ。それで渥美さんは、何かのパーティの時に「寅さん、休憩中です」とうれしそうにそのバッジをしていたという。 「渥美さんというのは、そういう人なんですよ」と山田監督。 |
|
![]() |
|
|
1995年春に発行された、京都の私立大学のPR誌。このときは、 |
|