●伝言板Vol.6
●上が新しいという形です。


はじめまして。

森田童子さんの曲は、心の鈴が同じところに響くというかうまく言えないけど、共感するところが多くて好きです。

初めてであったのは、自分が高校卒業のころのリバイバルでした。

そのころの私は、高校生活を楽しむということからはかけ離れた、とても苦しい日々を送っていました。でも、学校では勤めて明るかったと思います。進路面談で、父と担任と、3人で少し話をして、父が帰ったあとでした。誰もいない教室で、先生はあたしのために泣いてくれました。私も泣きました。
自分が辛くて、というよりも、こんな私のために泣いてくれている先生をみて、泣けてきました。

「男のくせに泣いてくれた」・・・このうたをきくと、いまでも胸がせつなくなります。

あのころよりもずっと世間になじんで汚れてずるくなった私でもまだ、こんな、歌を聴いて涙がでるようなやわらかいところが残ってる・・そう思うと、少し、安心します。
年代を超えて感動をくれた森田童子さんの歌声に、感謝してます。

ハンドル名(ちぱちぱ)

 TAMAKISS様
 広島の方でいらっしゃいますか???
わたし 月龍も広島です。
 わたしも一生懸命 森田童子のCD等を
探していますが、全く手がかりがありません。
古本屋などで訊いても「古いものですからねぇ…」
という返事などしかかえってこなくて。
レンタルショップとかでも もう置いていなかったり。
でも TAMAKISSさんは 何か見つけられましたか???
わたしは 探し始めてから 
まだそんなに経っていないのですが、
見つかりそうな気配は感じられません。
もし何か情報をお持ちでしたら 教えてください。
 えっと… 伝言板上にメアド等 何もなかったので
個人的にお送りすることができませんでした。
わたしのメアドは公開するので、よろしかったら
メールください。
お待ちしてます☆

   月龍(ユエルン)
  ta61@enjoy.ne.jp

 始めてお便りします
 森田童子さんのことを知ったのは、やはり、「高校教師」というドラマによってでした。 年代的な差の悲しさを思います。
 野島さんの、ある種冷ややかな内容の 脚本が好きなので、「高校教師」をみはじめその際に、童子さんの曲に生まれて始めて 出会いました。
 あ、という間にに引き込まれました。 でも、その頃の私は、大学時代 いろいろ悩んでいたときだったためか、その世界にはまり込んで行くのが 怖かったため、気にはなりつつも CDを手にするのがためらわれていました。
 今は,必死にレコードを捜しまわる日々です。
 地方なので、都心よりは お店に並んでいる期間が長く見つかりやすい気がします。でも、それまでの過程が難しいでしょうね。
 大学時代、関西にすんでた頃、 寺山修司さんに、焦がれてカルメン・マキさんの「時には母のない子のように」 などのレコードを 大阪や京都などで探していたけれど まったく見つからなかったですよ。
 広島に帰ってきて、その他のレコードも 見つけたときには、うれしくもあり それだけ、広島って、こういった宝物に気がつかない人が多いのかなって妙な気分でしたよ。
 よく、学生の頃、 友人たちと言ってました。「私たちって、熱がないよね」って。 だから、すごく、そういった時代にあこがれていました。
 広告のキャッチコピーを考えるコンテストで応募したコピーを70年代生まれの僕らは「神田川」を知らないと書いて大学の友人に見せたところ お互い、黙り込んでしまいました。 もちろん、「神田川」というあの唄は知ってます。 ただ、あの唄に歌われているような世界を 私たちは、知らない,生きていない、 それは、あたりまえなんだけどね。
 だから、森田さんの曲を聞きながら、 何かを探していたりするんですよ。
そうそう、「ぼくたちの失敗」の歌詞にもあるけど、JAZZ喫茶って、響きあこがれるな。 広島では「g」とかがそれに近いのかな。(ローカル内容で、ごめんなさい)でも、ほんと、こちらでは、ないですね、そういう感じの場所。 う〜ン、絵を描こうとおもって PCたちあげたのに、つい、久しぶりにネットしてしまって、 明日は仕事だというのに、 こちらのHPを発見てしまったばかりに、うれしくて、テンションがあがってしまって メールを書いてしまいました。眠いです。
  私なんかは、こちらのホームぺージ情報源としてアクセスさせていただくばかりで 何もご協力できないのが申し訳ないのですが、これからも、楽しみにしてますので、 管理のほう大変と察せられますが がんばってください。
tamakissより

管理人です。
K3様 ご指摘ありがとうございます。
 LPジャケットについては、ディスコグラフィーにて現在オリジナルのみ使用しています。このLPは「犬のしっぽ」さんから送っていただいたものが大半です。そのときパイオニア盤も一緒に送っていただきました。オリジナルLP、モノクロ盤ともジャケット表だけではなく、裏、歌詞カードとすばらしいものがありますが、著作権等の問題があり、当サイトでは公開できません。インターネット上の他のサイトではジャケットや本の表紙さえも、掲載していないところがあります。ぼくがこのサイトを作る時に、長年の友人である、ある出版社の編集長に相談し、出版界において、ジャケット・表紙のみは長年の慣習として掲載していると聞き、このサイトも同じ立場で掲載しています。ただしインターネット上と出版界は違うものなので、ジャケット表紙はいいということではありません。それから当サイトのホーム上に「資料の収集を…」とあるのを、もう少し違った表現に書き換えなくては、と思っています。

もう1つのご提案の「用語集」はさっそく作りたいと思います。「森田童子用語辞典」叉は「森田童子国語辞典」なんてタイトルはどうですか?
グリーン大佐……
高校教師……
ガリ版刷りのアジビラ……
火炎ビン……
球根栽培の本……
玉川上水……
高橋和己……
寺山修司……
と言う感じで、書いてください。また他の方もよろしくお願いします。ひとつの言葉をひとりの方…ということでなく、何人かが書いてもいいと思います。

はじめまして。森田童子のデビュー以来のファンのひとりです。 最近、やっと自宅でインターネット環境ができたもので、「ないだろうなあ」と思いながら検索して、出てきたサイトがあまりに立派なものだったので、正直おどろいています。これからもがんばってください。
資料収集もかなり本格的にされているので、たぶん入手されているとは思いますが、手元に以下の資料があります。よろしければ、研究所にお貸しいたしますので、メールでご連絡ください。ただし、当方にスキャナー・デジカメがないので、資料は郵送させていただくことになります。
1.ポリドールからワーナーへ移籍直後に発売されたLPは、それまでのカラー印刷のものが、モノクロ印刷になり、発売されました。現在それを所有しているのですが、ジャケットサイズの高梨豊撮影のモノクロ写真がついてきていました。その裏面には、ライブでの童子の言葉や短編小説などが掲載されています。実は、当時、それを目当てに、それまで持っていたカラーのポリドール版を、やはり森田童子のファンにしてしまった友人に譲って、新しく買い替えたのですけれども、もしかすると、この写真は、移籍直後だけのおまけだったのかもしれません。ジャケットのオビにも「特典」と書いてありました。
2.多分「FMファン」だったと思うのですが、「夜想曲」の発売された頃と思われる雑誌の切り抜き(2ページ分)の紹介記事があります。その中に少しですがインタビューが載っています。
3.おまけの情報 伝言板に「キシガミダイサク」の質問があったように、特に高校教師以後の若いファンの方にはわからない言葉が歌詞の中に結構あるんじゃないかなあと思います。今の20代の人って「ガリ版刷りのアジビラ」ってイメージできるんでしょうか。全共闘世代を知っているおじさんの素朴な疑問です。このまえ、職場の若い人に話のなりゆきから、「火炎ビンって知ってる?」と聞いたところ全員に「なんですか、それ?」と言われてしまいました。 それから、ちなみに、これは、童子のライブで直接本人が言っていたの覚えていまのですが、「球根栽培の本」というのは、実は極左の人たち御用達の爆弾製造のノウハウ本なのだそうです。アブナイ方面の話ばかり恐縮ですが、わたし自身も、いまだに「グリーン大佐」や「ミセス・カーマイケル」が誰なのか知りません。そういう詩の中に出てくる用語集のコーナーなんかもあればいいのにな、と思います。
  ハンドルネーム K3

はじめまして。
はるのぶです。
この伝言板を見ましたら何人の方がCDを探しているよう
でしたが、私も「夜想曲」のCDを探しています。もう、見つけ
ることは不可能に近いと考えています。ですが、「ベストコレ
クション1/2」なら中古のCDを取り扱っているところでたまに
見かけます。「ベストコレクション」で良いという方なら、それ
でたぶん見つかると思います。でも、秋葉原や都心の店では
難しいと思います。秋葉原のすべての店を回りましたが、ま
ったくありませんでした。ので、ちょっと都心から離れた店、
または田舎の方の店をお勧めいたします。
CDをお探しの方、頑張って回ってください(笑)
では、これにて失礼致します。

PS・ 「ベストコレクション1/2」ならたぶん手に入れられると
思います。どうしても欲しいという方はご一報下さい。
・h-gonta@t-cnet.or.jp

はじめまして。
私は、就職活動中の大学4年生です。
先日まで高校教師の再放送を見ていました。
以前放送されていたときも見ていたのですが、
今回は自分でも不思議なくらい熱心に見ていました。
内容は覚えていたのになんでこんなにはまっている
のだろう??
それは、森田童子にはまっていたのかもしれません。
早速CDを探しに行きましたが店頭には見当たらず、
「僕たちの失敗ー森田童子 ベストコレクション」を
注文したら廃盤だといわれてしまいました。
ショックでしたが、何とか手に入れようと必死です。
どなたか入手方法をご存知でしたら教えてください。
また、ドラマの挿入かとして使われていた曲に関する
情報も教えていただきたいと思います。
どんなささいなことでも結構です。
よろしくお願いいたします。

 はじめまして。
月龍(ゆえるん)と言います。

 わたしが初めて森田童子の歌を聴いたのは、
高校教師の 映画版のビデオを見たときでした。
ここの書き込みを見ていたら 多くの方はTVドラマの方を
最初に見られてたみたいですけれど、
TV版の方は「僕たちの失敗」ですよね。
それで 映画版の方は「たとえば僕が死んだら」。
いきなり 冒頭から「たとえば ぼくが 死んだら… そっと忘れてほしい」
なんて そんな歌詞が出てきて、わたしは 衝撃を受けました。
しかも あの透明な声で。
わたしが それまで普段 聴いていた曲と言ったら、
尾崎豊とか ブルーハーツ、B’z、小松未歩、FIELD OF VIEW、
MY LITTLE LOVER、エリック・クラプトン(デレク&ザ ドミノス)、
……などなど そういう感じだったのですが、
わたしの一番好きな尾崎豊に匹敵するくらい
森田童子の歌は ココロに しっくりくる歌でした。

 でも、今 CDを探しているのですが 全く手に入りそうもありません。
もし 同じのを2枚持っている方など いらっしゃったら
譲っていただけないでしょうか?
それとか、もしよろしかったら カセットにダビングしていただけないでしょうか。
レコードはプレイヤーがありませんし、中古で探しても
全く手がかりすらありません。
練習してカラオケで歌いたい、ひとりで聴きこみたい。
そう思うのに、今は 聴こうと思ったら
高校教師のビデオを借りたりするしかありません。
どなたか おねがいします。
もし カセットを送ってくださるとか云ってくださる方がいらっしゃったら
メールください。
おねがいします。

             ta61@enjoy.ne.jp
             月龍

在宅で仕事を!とインターネットを使っているうちに、ふと検索に「森田童子」と入
力してしまった。きっとのめりこみそうで今まではあえて避けてたのに・・・。

田舎から進学のために親元を離れるときに環境も変わるけど、自分自身も今までとは
違うところから出発してみようという事で「森田童子」もしばらく聴くことをやめて
から、10年以上も過ぎてしまった。

でも、こんなにも多くの人が彼女のことを愛してくれてることの嬉しさと、かつて私
のまわりにいた人々の評価とこのホームページの中で今語られていることの違いに驚
いている、というのが正直な気持ちです。

というのも、私が出会った頃のまわりの反応は「悪くはないけど・・・、なんか難し
い」という意見が多かった。(あくまでも私のまわりですが)

かつて1977年2月19日沖縄県コザ市(現沖縄市)でのコンサートに始まった私
の森田童子との出会いは、私がまだ中二でギターを弾き始めて間もなく、住んでいた
所も田舎であるゆえに情報の少ない上に、一緒に応援してくれる人はなく、とにかく
音楽雑誌などで情報を集めるしかない状況でした。

しかし、私はその頃出ていた「グッド・バイ」と「マザー・スカイ」のLPを学校か
ら帰ると気がつくと一日に一度は聞いていて、1977年10月頃、2度目のコン
サートで「a boy」が発売され、そのとき最初の2枚が毎日聴いていたためにかなり
すりきれていることに気がつき、我ながら驚いたことがあった。

そんな私も今は東京で2人の娘を持つ主婦で、ふと気づくと当時、歌詞の中に出てく
る「玉川上水」沿いに住んでいる!

地理的には歌詞や語りでよく出てくる「久我山の線路沿いの・・・」「井の頭線・・
・」など、選んだわけではないのに地名を聞けば、私の記憶の奥に残っている懐かし
い童子の声が蘇ってしまうような場所である。

これも何かの縁?というのでしょうか。

そんな訳でこれからもこのページが続くことを祈りつつ、私が集めたポリドール時代
とワーナー時代のそれぞれのLPなど実家の倉庫に眠っているはずなので、今度帰省
した時にでも探してみたいと思います。資料として使えそうなものがあれば送ります。

P.S 1981年3月卒業の3年5組の文集に私が森田童子のことを書いているの
ですが、私自身がその文集をなくしてしまったので、もし持っている方は、そのペー
ジだけでもコピーしていただけないでしょうか?当時自他共に「もりたどうこ」と
いっていた者です。

globekan@geocities.co.jp 西野みかん より

「高校教師」再放送がはじまったみたいで、
よろこんでます。
いいな、森田童子。
映画「グッドバイ」も、みたいなあ。
これは、どうやったら手にはいるんですか?
>犬のしっぽさん

「ア・ボーイ」すごくよかった。
これで最後のアルバムだから、って、
ずっと聴かないでいたんです。
ときどきこころにすうっとしみいるのは、
こころがからっぽだからなのかな。

あたしもギター弾くので、
いつか童子のようになりたい。
e-kimura@hoffman.cc.sophia.ac.jp
http://pweb.sophia.ac.jp/~e-kimura

-- *:..・☆。*:..・★上智大学法学部 あんず☆。*:..・★。*:..・☆。

タカさんのご質問ですが,
この曲はファーストアルバム『Good bye』の2曲目の『君は変わっちゃったネ』です.この曲は4枚目のアルバムの『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』にも入ってい
ます.
また,ちょっと見つけにくいかもしれませんが,

映画『グッドバイ』のオリジナル・サウンドトラックにも入っています.
それから,私は持っていませんが『森田童子全曲集』にも入っているんですね.
また,ドラマ『高校教師』に使われた曲ですが,これに関しては,ドラマ全編を見てないので,ちょっと分かりません.
ごめんなさい.

      犬のしっぽ

PS:カテドラルライブの3曲目に,この『君は変わっちゃったネ』が入っています.
   レコード・CDリストのページはこの曲が抜け落ちてるみたいです.
   また,お暇なときに付け加えて下さい.
   いつもいつも,お願いばっかりしてすみません.
   それでは,お身体に気を付けて.

ハンドルネーム
タカ

yahooで1件ヒットしたので驚きました。
自分はいわゆる高校教師をきっかけとしてのファンなんですが、現役のころからのファンも多い事を当ページでしり驚きました。
それをきっかけでベストCDをかいました。
質問なのですが
高校教師で8話ぐらいか?の冒頭で真田が近親相姦を目撃した後ホームでたたずんでいる時流れていた歌のタイトルをだれかご存じですか?
「ひさしーぶりーだねーぼくらはーあいーかわーらずー」
て歌詞だったような・・
いまでもCDにはいってますかね
レコードでも探すつもりなのでタイトルと収録されているLP知りませんか?
すごくインパクトがある歌なので
あとドラマに使われた曲がたくさんはいったアルバムをしっている方もいませんか?
これからもがんばってください

森田童子という名前を何気なく入力し、このHPを見つけてしまったが最
後、長らく心の奥底に封印してあったはずの、さまざまな思い出がよみが
えってきてしまいました。西荻ロフトやルイード、黒テント、早稲田小劇
場、前進座など童子のライブも思い出しますが、その時に知り合った人た
ちと過ごした時間が懐かしい。当時まじめっこの高校生だった私にとっ
て、青い旗の会の大学生たちと一緒にいることが楽しくて仕方がなかった
ように思います。初めてお酒を飲みに連れて行ってもらったり、朝まで街
を歩きまわったり。マツオさん、カメイさん、アキラ君元気ですか?その
後、就職をしてマスコミの仕事に就いた私は、個人的趣味で企画を通し
て、童子さんのインタビューをしました。新宿の高野フルーツパーラーの
喫茶店で1時間程インタビューをしました。沈黙が流れることもなく、
淡々と話してくれたように記憶しています。これからどうしたいかという
ような趣旨の質問をしたとき、童子さんは「このまま静かに忘れられた
い」と言ったので、原稿はその言葉で締めくくりました。そして、その言
葉通り、その後間もなく活動を止めてしまいました。   HARU

 森田童子と出会ったのは中学2年の頃、友達の兄貴の車の中でした。
カルチャーショックと言うか電気が走ったと言うか、世の中にはこんな凄い唄を歌う
人が居るんだと本当にショックでした。それから間もなくしてその時聴いたミュー
ジックテープを買い毎日のように聴いていた事を憶えています。
 それから高校を卒業し今住んでいる神奈川(藤沢)へ就職、自分で好きにお金を使
えるようになってからは、世に出ている森田童子のレコード、テープを買いあさりま
くりました。(と言っても他の歌手のように何十枚も在る訳ではありませんが)
 そして何年前だったでしょうテレビから流れてきた「僕たちの失敗」。 一瞬自分の
耳を疑いました。 絶対テレビなんかで使われる訳が無いと思っていた森田童子の曲
が流れてきたのですから、 あの頃は何と言って表現して言いか分からないほど嬉し
い日々を過ごさせて頂きました。テレビの力は凄いもので主題歌に使われるや否や瞬
く間に100万枚突破と言う見出しが新聞を賑わせ、あの森田童子がメジャーになって
しまいました。それも 今は昔の話 もう誰一人森田童子の事を話す人は居なくな
り、元に戻った訳ですが、あのブームのおかげでレコードだったアルバムがCD化さ
れた事を喜びつつ、今は、またいつ来るか分からないブームを待っている今日この頃
です。
           森田童子ファン歴23年のK2からでした。

 森田童子のホームページがあるなんて、感動してしまって、この感動が消えないうちにメールを書いてみます。
 私が初めて森田童子を見たのは、吉祥寺の前進座でした。当時、私は武蔵小金井に住んでおりまして、平日の吉祥寺が好きだったので、ぶらついていたら、古本屋に大きなポスターが貼ってあったのが目にとまり、観に行ったのを記憶しています。しかし、今の吉祥寺は当時とは、かなり空気が違いますね。そのときのチケットをまだ持っていたので、今、見ましたら、12月1(木)2(金)3(土)9(金)10(土)11(日)連続6日公演だったんですね。(何故か私には寒かった記憶は無いのですが)私が見たのは何日だったか、もう思い出せませんが、コンサートのオープニングは、何のアルバムに入っているか忘れましたが、爆発音だった事を記憶しております。チケットには、同時上映 森田童子黒色テント記録映画とありますが、どんな内だったかはっきりとは思い出せません。どなたか知っていらっしゃる方、教えてください。それにしても、全席自由、前売り2400円、当日2700円は安い!
 83年、12月25日のshinjuku loft(ドリンク付で2000円!)にも行きました。そのときは、狼少年に扮した学生服を着た劇団員の人がモデルガン改造のくだりを小さな壇上で叫んでいたのを憶えています。あれは何の曲の間奏中だったのか? あと、森田童子がライブでしか歌わない曲がありますよね。(確かタイトルは6月1日でしたっけ?)あの曲好きなんですが歌詞が、はっきり分からないのですが、どなたか教えてください。その日のライブの後ではレコード販売とサイン会があったのですが、森田童子は狼少年の裏ジャケットの服装でした。私の森田童子に関する情報はこのくらいが関の山です。
 私は今は三鷹に住んでいて35の春、生きる術なく暮らしています。
ps、このホームページは、どの周期で更新されるのでしょうか? どなたかメルフレになって下さい。 

    しげる。
    k-shige@pop06.odn.ne.jp (shige)

はじめまして。

森田童子の歌を聴いたのは高校生の頃で、すっかり好きになりました。
今は22歳で、もう5年近く聴いているのですが、飽きるどころか
聴く度になにかしら新しい発見があるようで、涙が出てきます。
もっと男らしくしろ、なんて言われてすごく窮屈な思いをすることも
多いこの日本社会ですが、たまには泣くのもいいだろうなんて
自分に言い訳するように、森田童子を聴いています。

森田童子にはまったからかどうかは分かりませんが、学園紛争が
あった時代のことが、まるで自分の思い出のように感じられる時が
あります。その当時、まだ僕は生まれてもいないのですがね。

森田童子のほかにも世間一般のいわゆるネアカ人間には
敬遠されがちな、中島 みゆきや尾崎豊も大好きでよく聴きます。
僕はかなり内向的な人間なので、ただひたすら明るい歌は
聴いているとかえって疲れてしまいます。

と、森田童子から話がずれてしまいましたが、とにかく
こういうホームページが見つかって、嬉しかったのでメールを
出しました。私事ばかりですみません。

                     高田 祥弘

とても会いたい人だったから
会いに行かなかった

いいえ
ほんとは会いに行けなかった

 

あなたのおかげで
自分の意思で
生きることをはじめられたような気がしています

あの頃のわたしを
自分自身を許せないわたしを
あなたは
そっと あたためてくれたから

 

どんな痛みでも
いつかは

癒されるものなのかもしれない

あなたのおかげで
それに気づくことが出来たように思います

 

ありがとう

だけど
15年も経ったいまでも
あなたを探してる.......

  こんなことじゃ
  いけないね

あなたのしあわせを
わたしは祈ってる
わたしをしあわせにしてくれた
やさしいあなたのしあわせを

                    ねこの

はじめましてこんにちわ。
先日インターネットをはじめたばかりの初心者です。やっとホームペ
ージの開き方が分かりました。
私が森田童子に出会ったのは、ふとした偶然でした。
数年前のある平日の夕暮時、いまとなってはなぜその時間にいたの
か覚えていませんが、私は何気なくテレビのスイッチを入れました。
とり立て見たい番組があったわけでもなく、ただ一人の虚しさを消す
ように、自然と手が伸びたのです。
そして次の瞬間、私の目に飛び込んできたのは、茜色のフィルターを
張りつけたような映像でした。
池のある公園のベンチで寄り添う一組の男女。
二人は、水面に揺らぐ逆光のなかを泳ぐ数羽の鳥に視線を投げかけ
ながら、静かに言葉を交わしていました。その静けさのなかに歌い手
の声はゆっくりと浸透していき、その時、森田童子という一人の歌手
を初めて知りました。
ショックでした。
それまで私が知り得ていた歌手とは明らかに一線を画すものでした。
おぼつかないメロディーから流れる詩は、やさしさと残酷さ、そして言
い知れぬ不安が入り交じった一曲でした。
飾らない、薄化粧の、この歌を聞いたとき、ブラウン管の前で立ち尽
くす自分がいました。
目まぐるしく様変わりしていく世界、立ち止まりは敗者となる風潮にう
んざりしていた私にとって、この歌はジャンヌだったのかもしれません。
そして、このホームページによせられた方々の言葉を見たとき、自分
のなかで何かが変わったように思えます。
そして、ただ、森田童子を過去の人ではなく、同じ時間をともに共有
した人達がうらやましいかぎりです。
乱筆乱文になってしまいましたが、これにて失礼致します。
では。

・はるのぶう h-gonta@t-cnet.or.jp